2017年3月20日月曜日

映画「ミス・シェパードをお手本に」

映画をひとつ観に行くと
予告編から数珠繋ぎが始まることがあります

以前、支配人もおっしゃってました
この映画を観るひとはコレも好きかな、
と思う作品の予告編を選んで流すのだと

オモウツボ、というより
ご親切にアリガトウゴザイマス


「人生フルーツ」からの数珠繋ぎは
同じく 人生の ”達人” が主人公




よかった~~☆☆☆
たいへん好みの作品でした
終盤への評価は分かれるみたいですが
私はアレでいい

「ほぼ実話」でありながら
素晴らしきエンターテイメント
困惑をもたらした他人でありながら
かけがえのない人となった彼女へのオマージュ

ミス・シェパードを演じたマギー・スミスがバツグンによい
予備知識なしに観ながら
ひょっとして「天使にラブ・ソングを…」 の?
「ハリー・ポッター…」 の? 
だよねーーー☆(*´∀`*)

本国イギリスでは舞台版で
16年間にわたり主役を演じてきたという
御年81歳演ずる
訳あってホームレスでありながら気高き「老女」と
彼女の「隣人」たる人々のストーリー

”手をさしのべる” そのことの理由がどうであろうと
(多くはこちら側の自己都合や偽善であるとしても)
そのことが、相手を(それが偏屈なホームレスであっても)
社会に存在せしめ、そこにかけがえのないものが生まれうる…

これは「老いた人」あるいは「老い方」の話ではなく
この物語から問われるのはむしろその周りに暮らす(比較的)若い者と社会
の在り方だと思いました


少し前に聴いたアール・ブリュットに関する講義の中で
「山下清さんのような放浪が今の世に可能か」
という話題があったことを思い出します

海外では未だ放浪しながら
荒地となっている他人の土地で家を建てるという
建築アートを生み出し続けている作者もいるのだとか
(土地の所有者によって撤去されるのだけど

現代の日本社会に
知的障害のあるひとが施設を脱走して施しを受けながら放浪する
という余地があるかどうか

(以下、ネタバレあり

映画では当時のイギリス(1970~80年代?)の社会福祉の様子も
興味深いものでした (彼女が亡くなったのは1989年とのこと

施設でお風呂に入れてもらい、丁寧に髪をとかしてもらい
衣類を洗濯され、ピアノを… 
あのシーンは  幻かなぁ…
美しかった…

施設職員の心ある仕事ぶりが描かれながらも
彼女は彼女なりの理由があって汚れたオンボロ車に帰って来る

生きる場所を選ぶ自由
死ぬ場所を選ぶ自由

望むかたちで存在することが認められる社会
その人の意志を尊重し支える福祉のかたち

プロフェッショナルとしての社会福祉の
公的整備は不可欠として

なにより、それぞれの事情で生活するお互いに
少し受け入れたり、なにか行き交う余地のある暮らしがいい

そしてどんな時も
大切なのはユーモアよ
と…

…嗚呼

去りゆくひとが教えるのは
常にそのことかもしれません

と、思い至ったのは
こうして書いている今になってのこと


クレジットと共に流れるピアノの音色の美しさと相まって
余韻は、にわかに掻き曇った空にも頬をゆるませ
心を温め続けてくれるものでした