2015年11月27日金曜日

初雪


25日 冷えているなと思ったら
夕方からの雨は雪に変わり


郡山駅前
ゆ~きっ♪(*´∀`*)ゆ~きっ♪


この日は相方の職場の方々と
忘年会前の「中締め」 (だそうな( ´艸`)
前にもご一緒させてもらった顔ぶれ
たのしかった~~~☆


翌朝は屋根だけきれいに真っ白
エアコンもついに始動


翌27日はうってかわって快晴!
・・・だったのは昼までで、午後からは西風&冷たい時雨れ模様


来週のタイヤ交換まで
なんとか晴れていていただきたい


2015年11月16日月曜日

グレートワークス





父がせっせと造っていたもの


古い年賀状のぐるぐる詰め


「おれのリハビリ」




第一作品は縦長
バラの花束みたい




うつくしいね


きらいじゃないよ


むしろ好き


アールブリュット
第三作品製作中


おとうさん、古い年賀状を始末するために造ってると思うけど
こんな付加価値をつけてもらったら、捨てられないよ





2015年11月12日木曜日

ハイパワー御守

久々にどうしようもないことでちょっとしょぼくれていた時
思いがけないギフトが届いた


よく聞いているからといって
ラジオ番組にリクエストとかリスナープレゼントの応募とか
まずしないのだけれど

この時はいろんなタイミングや思うところが重なって
パーソナリティーさんが買ってきたという
「喜多方市は新宮熊野神社の御守」を
いただきたいな、送ってみよか(。-_-) と思ったのでした

ちなみにこの時はしょぼくれてはおりませんで(*´∀`*)ゞ
実家にね・・・ と、御守りにも力を貸してほしいような・・・
運だめしをしたいような
当たらずともよし、感謝を伝えたいような気がして・・・
(郡山に越してからの日々「郡山コミュニティ放送・ココラジ」もひとつの支えであったのです

そんなこんなのメッセージをしたためましたらば
なんと(*´∀`*)まぁ☆


封筒の中には御守の他に
「山で遭難した時に焚き火の足しにはなります」 と自らおっしゃっていた
パーソナリティー・ミヤタコウジさんのサイン色紙と局のステッカー

サインやステッカーを集める趣味はないのですが
もちろん捨てたり燃やしたりはいたしません
むしろサインに「名前」が添え書きされていることにハッとして
はからずも感動(/_;)  はからずもリビングに特等席を提供(。-_-)

この街での私は「夫の転勤についてきた妻」であって
下の名前で呼んでくれるのは既知の友人と時どき伺う料理教室のセンセイのみ

苗字で呼ばれるのは慣れたし、別にそれがイヤというわけではなく
人間関係の実質的な親しさがあれば、呼び名などなんでもかまわないと思っている

にもかかわらず、
「○○さんへ」と書くのもお約束事だと思うのですけれども、
名前が書かれていたことでこんなに胸を打たれるというのは・・・

なかなか・・・
吹雪いてますかね(-_-)ゞ

すごく、すごくうれしかった
勢いのある文字に、元気づけられました


巫女さんと相談して選んできたという「南天」モチーフの御守は
難を転じて福を招く、のいわれが込められたもの

どう転ずるか

すべては己れの心次第


大切なことを教えられる日々

ハイパワー御守にちからを借りて
年末まで元気に過ごします(*´∀`*)

ありがとうございます!



2015年11月11日水曜日

雪っ

といっても住まい界隈のことではありません(*´∀`*)ゞ さすがに


快晴の休日、ゆく秋を名残惜しんでお山ドライブ


里山にはまだ紅葉が残っていましたが



標高が上がるにつれ景色は変わり


積雪目安棒! 
妙高とかで見るよね~(*´∀`*) と懐かしくテンション上がります

しかしかなり丈が長いです
どれだけ積もる気?


そしてにわかに前方に雪山!
路肩の日陰も白くなっていました


磐梯吾妻スカイラインは順次冬季閉鎖が進んでいて
磐梯熱海側からは浄土平より先、福島市方向へはすでに通行止め
今週末にはココ、浄土平までの区間も閉鎖とのこと

ギリギ来れてよかった~(*´∀`*)


「噴火警戒レベル2」の吾妻山は立ち入り禁止


浄土平の駐車場のすぐ裏なので大迫力
コレが噴火したら本当にたちうちできないね(*_*)


道路を挟んで向かいには吾妻小富士
寒いですがちょっと登ってみます


ゆ~き♪(*´∀`*)ゆ~きっ♪


木で保護された道を登り切ると、お鉢!ドーン


この雄大さ!画像ではお伝えできず残念(>_<)


1周1時間くらいとのことですが
これまたお伝えできないくらいの冷たく激しい強風にて(>_<)


何かを飛ばしたり転げ落ちてはシャレにならないので撤退します


上から望む吾妻山


自然界の威力を魅せつけられつつ


来年は東吾妻山に登れるかな?
この辺りの散策にもまた来れるといいな


ちょうど車に乗り込む頃、雲が凍ったような細かい粒つぶ・・・
つまり雪ですかね?
が吹きつけてきました


2015年11月10日火曜日

伝えることの難しさ

『はじめての福島学』の感想で
本旨ではなく論じ方についてあれこれ思ったのは

「郡山コミュニティーラジオ・ココラジ」で録音放送された
第5回市民科学者国際会議・2日目の講演 

岡山大学の津田敏秀先生が
主に放射線を研究する科学者間での情報交流や精査について
「説得や弁論を成り立たせるにはどのような要件が必要か」
ということについて語るのを聞いたところだったから

師曰く、

アリストテレスの哲学によれば
エートス(聞き手が論者にある印象をもつ)
パトス(聞き手の感情が動かされる)
ロゴス(証明による説得)
が必要であると

ロゴス=データーを用いることは必須であるとしても、それだけではない、
という点で、「自分も磨いていかなければなりません」と
笑いを誘っておられたのが印象的で

私も気をつけよ~(/_;) と思いつつ
こんなにも違和感をもたらした今回の開沼博さんの手法はどうだろうか?
と考えずにはいられなかったのでした


あわせて思い浮かべるのは語り上手な方々のこと

開沼さんが『はじめての福島学』で示したような
データにもとずく「事実」プラスアルファについて
私はこちらの生協「あいコープ」を通じて教わることが多いのですが

それはとても穏やかな、対話を交えてのもので
私が発する疑問ひとつひとつに丁寧に、現段階での解、として答えをいただき

その対話がこれからも継続される環境にある、ということが
この街で暮らす上での最大のラッキーであり、
安心感をもたらしてくれるものだと思うにつけ。。。

対話と語りの手法を精査することの重要性を考えずにはいられません


難しいけど

穏やかに、科学的に、建設的に
というのがいいなぁ


一冊の本から深まりました、のハナシでした(*´∀`*)


2015年11月8日日曜日

『はじめての福島学』

このひと、相当ウンザリしているんだろうな・・・ 
と思いながら
こういう文体・スタンスで書かざるをえないことが
今の福島(の人の発信)のひとつのカタチなのかな?
と思ったりしながら、主旨を見失わないよう努めました

『はじめての福島学』 開沼 博 著 


特に前半、
「外野の声」の差し込み方が・・・ コレはなんなんだろう?

同調以外の「疑問」を持つことをためらわせるような
異論を投げかける者への戦闘モード・・・?

統計データを元に福島の現状を語るという本旨
じゃないところで疲れました

ラジオでお話を聞いた時はこういう印象ではなかったような~ と思いつつ
あまりにもあまりなので
この本はどういう位置づけにあるんだろうか?と思って検索したら
「cakes」というサイトに著者と上野千鶴子さんの対談がありました
https://cakes.mu/posts/9323
↑無料登録では全部は読めないのですが、読めた部分だけでだいぶスッキリ


上野さんの指摘する所の
これで「福島学の看板を名乗ってもらっちゃまずいかもしれない」 以下、
「福島学」というからにはと期待したところへの肩透かし感
ほとんどが既存の県の統計データであること(これでは「福島県学」である)
「福島」or「フクシマ」の表記のこと

そして何より
「誰を読者ターゲットにして書いたの?」
という問い  

著者としてはこれらの問いは全て「折り込み済み」とのことで
それぞれに解があり、ずいぶん理解の助けになりました


著者は、ネット上で交わされる悪質なデマや誤解、講演で直接投げかけられる批判や
バイアスがあるがゆえの対話の届かなさから
「福島への誤解と、誤解がはびこっている状況そのもの」を「仮想敵」として
ひとつには「デマゴーグ」たちをターゲットにして書いているとのこと

はーーー 「仮想敵」に向けて書いていたのでしたか(*_*)
それで戦闘的な匂いぷんぷんなのですね


そういう執筆スタンスについて、私はやっぱり上野さん寄りで

理解を深めるための対話を生むために、
という本来の目的を遠ざけてしまうように感じて
疑問に思ってしまうのだけれど

開沼さんの考えは違うそうで
本書を「福島へのありがためいわく」な言動をする人たちに対する
釘さし・物申す場のひとつにしたかの様相

ただ、著書の後半では比較的穏やかなトーンになり
~「普通の人」に福島の問題を考える入り口を提示する~
ことが本書の目的である、とも書かれていたので (アレ?

困ったオーディエンスへの苛立ちが、冷静な執筆を削いだ感はぬぐえません


自分が暮らすこの地について理解を深めたいのとあわせて
新潟に居た頃の自分が読んだら?
福島にゆかりのない知人たちが読んだら?
などと思いながら読んだのですが

データの取り出し方について違和感のある部分もあったし
今回あえて「避難」「賠償」「除染」「原発」「放射線」「子どもたち」
という「ビッグワード」に頼ることを避けて福島を語る、という挑戦をされたということで
当然の結果ですが、コレが全てではない、という印象が先立ちました

それらの「ビッグワード」によって、
震災以前からある問題や、全国的に地方に共通する問題が正しく理解されず
福島県の本当の姿がわかりにくくなっていたり、無知・誤解によって
外の者が絡みにくくなっている、という指摘は全くその通りかもしれません

が、その禁じてのために、逆方向に、照射されない日陰が生じた感があること
(それも著者「折り込み済み」のようですが
を承知で読むのがよろしいかと思います


「福島」を漢字で書くか片仮名で書くかというところでは
(私は福島第一原発事故由来の社会問題を総じて指す時はカタカナ表記にしていますが
著者が今回あえて漢字表記にした意味を前述の上野千鶴子さんとの対談で理解するに・・・

原発・放射能問題のイメージ以外の部分について、正しく伝え直すことに特化した、
という意味で「フクシマ学」でなく「福島学」なのだと思えば
内容の偏りもコレでよいのかもしれない、と思います


ただ・・・ 
実際に現在の福島を語る上では
「ビッグワード」に代表されるテーマを避けるのは
無理があるのではないか、というのが実感です

まだまだ「ビッグワード」にまつわる部分で少なからず迷い、悩み
それぞれの立場での苦労・心労を振りはらいながら、努力を絞り出し
住まいや食生活や子育てを考え、今日を生きているひとたちがいる
それらの根底にある問題の実態に触れること無しに、この地を語れるのかな?

誤解や過剰反応やデマ、極論が混在していることの問題については
別のところで語られるべきで
(それこそ「フクシマ学」の一項目にできる事象かもしれません

「ビッグワード」を避けることなく、
むしろそれを前提条件として正面から捉え直した上で
そのために見えにくくなっている側面をいかに正確に露わにできるか、
という苦悩こそが「福島学」の一端だったりしないかな・・・


な~んて
いわき市ご出身で、積年のフィールドワーク等を通じて
震災前後の県内のことは誰に劣らずご存知のはずの著者の
意図あっての「はじめての福島学」のありようなので・・・
さしでがましくごめんなさいねーーー

今後の展開をなんとなく気にしつつ

今回の結論としましては
ボリュームと執筆エネルギーのさき方として・・・

やっぱ、前半、ダメでしょう (-"-) 

というのが私の感想でした(。-_-。)


しかしながら
そのウンザリな前半部分こそが
開沼さんの苦悩のカタチともいえま

ビッグワードを避けたところでやはり苦悩するという( ̄ー ̄)



ビッグワードに頼らない、というだけで
避けてなんかおらんねん!避けられへんねん!
と、言わずもがなで示してくださっているのだとしたら・・・

まわりくどい手法~(/_;)
周回遅れで了解ですけども(。-_-)


2015年11月6日金曜日

郡山の朝


日の出が遅くなってきて
私でも時どき朝日を拝めることがあります


この季節はマンションとも重ならずに見えるのね、と
1年を暮らしながら太陽の動きを覚えていきます


朝霧がたちこめはじめます


南西の山はもう少しすると朝日に照らされ
紅葉と相まって赤く映えます


その翌朝のこと

「タイヘンや、外、真っ白やで」
と起こされて見ると


おお、真っ白(*_*)

ココどこ?
ロンドン?


さらに次の日は
真向かいのマンションすら見えない霧でしたが


地上というか路上は上から見るのとは違って
それほど困る視野でもないのか、車も自転車も普通に走っていました
高速道路では速度制限が出されていたようです


いずれにせよ刻々と霧は晴れ
昼になるとすっかり快晴になるのでした

着々と秋が終わり
再び猛烈な西風におののく冬到来の気配です



そういえば上越・高田でも、新潟市・海寄りの町でも
霧に包まれた幻想的な日がありました

高田のは春先に雪解け水があたためられて
新潟市のは海水があたためられて、
それぞれの地理地形を感じたものです

郡山は盆地だからか?と思いきや
県内各地、広域で霧ったようで・・・

県内の地形をおぼろげに思い浮かべ
またちょっとこの地に親しめた気分です