福島県飯館村周辺では
「大切に」「こころを込めて」「ゆっくり」「ていねいに」「つつましく」といった
いわゆる「スローライフ」とイメージが重なるような意味で用いられてきたのだとか
原発事故で全村避難になっている飯館村から避難している方の話を
ラジオ(福島県唯一のAM放送局「RFCラジオ福島」の番組、「月曜Monday(もんだい)夜はこれから!」
で、聞きながら
どんな素敵な村だったろう。。。 と思った
まるで好きなひとのことを話すみたいに
ふるさとと、同郷のひとたちのことを語っておられた
70歳以上の独居世帯が多いという仮設住宅でも
なるべくつながりを保ち、生きがいを持てるようにと
闘病しながらも、仲間たちとできることを継続しておられる佐野さん
夢は、ふるさと飯館村に帰ること
原発事故前と同じようにはいかないとしても、
若い人たちは無理だとしても、自分たちのような歳の者だけでも帰って、
なるべく世話にならないように自分たちでがんばって、
こんなふうに元気に暮らしているよぉ って見てもらえれば。。。
と、穏やかな語り口から伝わってくる想いの強さもさることながら、
自立した暮らしを前提としていることがとても印象的で
お名前などを急いで書きとめた
◆「いいたてカーネーションの会」で検索すると
佐野ハツノさんたちの活動のいきさつやご苦労、がんばりが窺える記事がいくつも出てきます
◆飯舘村について書かれた「マガジン9」のコラム↓を読んで
彼女が語っていたことのニュアンスに更に納得
http://www.magazine9.jp/don/110824/
「までいライフ」を掲げた飯館村の自立した地域づくりは
30年来の努力で培われてきたもので
村独自の国際交流や、女性リーダーの育成や、子育て支援等々、
住民参加を上手に促しながら、国任せにしない取り組みをしてきたがゆえの
今日の地域に対する誇りであり、自立した生き様なのではないか・・・ と
その小さな村の地域づくりは
震災以前から注目されていた様子
けれど、ふるさとへの帰還には除染という困難な課題と
放射線量の判断についての賛否がある
◆震災後、様々な住民の想いを受け止めながら、時に怒りの矛先を向けられ
痛烈な批判にもさらされながら、前進しようとしている飯舘村の菅野村長の想いは
例えばこんな感じ・・・
http://bizacademy.nikkei.co.jp/business_skill/shaberi/article.aspx?id=MMACi8000018032014
読み返したいのでリンク貼ります
◆飯館村といえば、まだ上越に居た時に
酪農家の長谷川健一さんの講演を聴かせていただく機会があった
長谷川さんも、生業やふるさとへの熱い想いや誇りがあるからこそ憤り、
国や自治体の帰還推進施策への見解は厳しく、
黙っていたらそのまま終わってしまう、と
今も賠償にまつわる和解訴訟で闘っておられる
おかあも、おとうも、
きっとこんな闘いとは無縁に、楽しく自活していくことを考えて
お互いを「までいに」思いやりながら、暮らしてきたひとたち
なんでこうなった? ってことを
私たちは忘れちゃいけない
「そもそも」の部分が、既成事実や後付けの(へ)理屈に隠されがちで
矛先がどんどんすり替えられがちなことに気をつけなくちゃいけない
訴訟やデモとかで
「そもそも」のところについて熱く訴え闘うひとたちを
仮に自分はその情熱ややり方に足並みを揃えられない、と思ったとしても
彼らを孤立させちゃいけない、って
新潟に居た時、静かな口調で話してくれたひとのことを思い出した
夏のおひさま日曜市の中での富田貴史さんのトークライブ
あの時のことは、レポートを書いたらうんと長くなって
結局アップしなかったのだけれど
いくつかのエッセンスが大切なヒントとして
今も私の中に残っている
どこまでも続く散歩みたいになってしまった
これは少し前に行った三春の景色
これは少し前に行った三春の景色