2014年10月24日金曜日

冬の過ごし方

親との距離や友だちの不在、ということに次ぐ不安はその寒さ
氷点下になるのが当たり前、という暮らしは未知の世界

上越では積雪1メートルくらいならなんとか・・・と思えたけれど
新潟市では同じ県内でもこうも違うかと、雪が降らない代わりに
海風の冷たいことに驚いたり、黒く乾いて見える歩道が凍結していると知ったり
「皮のロングブーツ」がたくさん売られていることに納得したりしたけれど
(降雪地域では雪がとけるとビシャビシャになるので皮靴不可、おしゃれ長靴必須

新潟市などメじゃない寒さであるらしいのが八戸市!

水道管凍結も当たり前~~(*_*; 
つーか、凍結しないように対策するのが当たり前~~

窓のサッシが2重だとか
エアコンでは暖しきれないのでFFストーブが主流だとか

まだ地図上でしか見てないけれど、屋外スケートリンクがある??(*_*;
外出しで、凍ってくれる、ってことですね?(-"-)

この冬は皮ブーツを買っちゃおうかな♪ という目算は幻になったけど
早まらなくてよかった
八戸のひとは何を履いているだろう
スパイク付きのあったかいブーツとかかな・・・

その寒さはまだ想像できないけれど
コレは・・・ 子どもの時以来のイヤーマフ(耳当て?)を買うことになりますね?

実はアレ好き(。-_-) もふもふのヤツ
新潟市でも冬の街歩きは帽子で覆っても耳がちぎれそうなのだけど
さすがに大人で付けてるひとは、自転車乗りかウィンタースポーツするひとくらい
子どもや、おしゃれでつけている若い子たちがうらやましかった

アレを大っぴらにつけれるなら、いーかも~♪(*´∀`*)


極寒の2月には みちのく5大雪まつり のひとつ
「八戸えんぶり」という祭りがあるというので・・・
それは逃さず行かなくては~~~(*´∀`*)耳当てつけて

年に1度のお祭りごとは、チャンスは2回しか無いからね☆
冬のチャンスについてはホントに2回だけでイーですから(-_-)/ 追加サービス御無用




2014年10月23日木曜日

2年

腹を決めてしまえば

新潟市を2年で離れることは
次の2年を八戸で過ごすためのクッション (更に弾めるようにのトランポリン?
かもしれない、と思えたりして、この上ない采配のようにも思えてくる

また新潟県に戻ってこれるという安心感と
別れを惜しんでくれるひとたちがいてくれることに心強さを借りて
2年で旅立つこの流れに意味を探す

上越から一気に八戸だったら、一体どんなことになっていただろう

この2年のおかげで
いろんなことがイメージしやすい

見知らぬ地で一から暮らすこと 
2年という月日でできること
またきっとうれしい出逢いがあること、再会できること
そして・・・ 転居時の自分の荷物の量(-_-)

そう、こうなってくると一番の問題は引っ越しだ
このスパンでまた荷造りするの、ホント嫌 
何がイヤって、ソレがイヤ(>_<)

旅人なワリに荷物持ち(/_;)
         だから早く根を下ろしたいんだよーーーー
         転勤族の妻は務まらないんだよーーーー

もっと大胆に持ち物を減らせたらねぇ・・・
気合を入れ直しつつ、あまり自分を追い込まないことにする

相方もそのストレスを心得ているので
「無理して捨てなくてもいいんじゃない?積んでおけば( ̄ー ̄)
て言ってくれる

相方のエライところは、そういうふうに言われるとむしろがんばる
という私の習性を、狙わずして起動させるあたり

ええ、ええ、なるべく減らしますよ(。-_-)

それでも今回は実家送りもさせてもらう予定
食器とかね、
もう、誰が訪ねてくれるというのもないので (-_-)まだ少々自虐気味
お客様が来た時に・・・ みたいなのはさっさと梱包

保存版の書籍・書類はもちろん実家で保管をお願いしたい<(_ _)>
もうひといきで手放せそうな、要整理のもの(が結構多い)は、仕方がない、
持って行って、またちょびちょび眺めてはまとめることを、冬の楽しみごとにしよう

なんたって冬は家にこもるしかないくらい
寒いらしい! 

氷点下になるのがあたり前!? (*_*; ひぃ~~~


おそらく最初と最後の数か月ずつは
引っ越しがらみであっという間
2年というのは今から貴重な日々に思えてくる

せっかくだもの
八戸に居る間に行っておきたいところもた~くさん(*´∀`*)

「大丈夫!」に続いて「青森イーな☆」の声も聞こえてきて
「そうお?」と次第にノッテきた

ありがとう

2014年10月20日月曜日

親心

日曜日

母は外出と聞いていたけれど、別用もあって実家に立ち寄り
父に伝えた

まだ自分も、おかあさんも、元気だから

と言ってくれた父は
脚だの腰だの、歳相応におぼつかなかったりもするのだけれど
今日の小春日和、午前中はひとりで自室の大掃除をしていたのだと
この後は庭仕事をするのだと
付け加えた


2年間、不要不急の荷物を預かってもらう打診についても
いつもは実家に残してある私の私物に苦言を呈すところ
快く応じてくれた


相方の車は転居時に一緒に乗って行くとして
私の車はどのタイミングで持っていこうか

転居はおそらく年末年始
未経験レベルの気温の低さと路面凍結は想像も及ばず
3月頃まで実家近くのガレージを借りておこうか・・・
春になったら、二人で取りに来ようか・・・

そんな話をしながら

じゃあ春になったら、おかあさんと電車で訪ねるか

○○さんの奥さんは八戸に住んでいたことがあるから
近く会ったら聞いておく、「いい酒蔵があるかとか」・・・  
そう言う父は、最近は糖分を気にしてもっぱらビール党だ


私を旅人間に育てたのは、おそらく主には父だと思う

小さい頃からの家族旅行
そのうち、兄と二人で高田の祖母宅へ行ってこいと、
電車の乗り換えや時刻表の見方を教えてくれた
中学に上がる時だったか、ひとりで神戸の親戚の家まで行ってきた後は
愉しくもどれだけ緊張したのか、熱が出て新入学早々の学校を休んだ

何かが変わる時には、大きく失ったり、熱を出したりするのだという
その時、私の放浪体質は仕上がったのだと思う
地元を出ることを切望しながら思春期を過ごした


なんでも、できるようになったほうがいい
いろんな場面で、そう言って育てた

県外へ進学することも、さらに西の地で就職することにも
バイクに乗りたいと言った時も、反対はしなかった

唯一、学生時代の旅においては、ヒッチハイクすることにだけ反対した
自分で運転する乗り物で何事かある分には仕方がない、と思ったのだろうか
だから沖縄にもフェリーにバイクを乗せて行った


大人になってからも、大きな心配をいくつもかけた

それらを思えば、2年、それも国内、それも連れ添う人がいる今回なんて
父からしたらほんのちょっと長い旅行みたいなものか・・・


と、私に思わせてくれたのだと思う



母と二人で見送ってくれる時はさっさと玄関に入ってしまうのに
今回は、私が角を曲がるまで
ずっと見送ってくれていた





2014年10月19日日曜日

大丈夫

土曜日

月に一度の集まりで
引越すことになったと
この日はまだ話すつもりはなかったのに

話したいような
話せるような

伝えたいような
聞いてほしいような。。。

その時の話の流れでも、八戸に行くと話した方がハナシが早いような。。。

そんな感じに思えて

親にもまだ伝えてないのに
美味しいお酒を呼び水に、やわらかに満ちた空気の中で
するりと言葉が放たれた


話してよかった。。。

旧知のひとも、ほんの数回のひとも、この日初めて会ったひとも
みんな、あたたかかった。。。

ココから居なくなるひと、としてでなく
これからは八戸と新潟とでつながるひととして
また会えるひととして

距離を惜しんでくれたことが、驚きで
うれしかった。。。

そんなふうに言ってくれるひとが
この町にもいるんだ・・・
そんな出会いやつながりが、いつの間にか
この町でもできていたんだ・・・

話は上滑りすることなく、深まりながら続き、人生のヒントは各処にあり
驚きと、うれしさが入り混じりで
淋しさやせつなさの入る余地はなかった

それはきっと、若干1名
私の代わりに、泣きそうになってくれたひとのおかげ


新潟と八戸のゆかりは薄かろうと思っていたけれど
「知り合いの漆作家さんがいるよ」と教えてくれたひともいるし

「ウチの愛猫は、青森から連れてこられたコだったんだよ」
て話してくれたひともいた

驚いた
猫もはるばる旅をしなくちゃならない時があるのね
新しい地でまたこんな素敵な飼い主さんに出会ってしまうこと
想像してたかな


「大丈夫だよ」て言ってくれる言葉は
どれも気休めではなく
力強かった

話せてよかった

別れがくるとは思えないうれしい時間だった
あたたかい夜だった


大丈夫 (。-_-)/ぽちっ

「大丈夫スイッチ」入りました!


2014年10月18日土曜日

八戸

耕し・根を張る「土のひと」と
行き交い・運ぶ「風のひと」とがいるとして
私はなかなか前者になれない

相方もそういうひとだから
そんな二人が連れ添ったのだもの、ひと所に居続ける暮らし、なんてのは
ないのかもしれない

行き先は青森県・八戸市
青森は私が国内で訪ねたことがまだ無い数少ない県のうちのひとつ
(あとは佐賀・長崎・鹿児島県!
もしかしたらこのまま一生行く機会は無かったかもしれない太平洋側の北の地に
まさか暮らすことになるなんてね☆

これも何かの縁
神様の采配

行ってきましょうとも!


それにしても
風の町・新潟市での暮らしが、わずか2年で終わることになろうとは

いろんなことが落ち着いて、それなりに動けるようになったのは
ほんの今年になってからのことだから、1年足らず

親しいひと、会えたらうれしい馴染みのひと、などがようやく少しずつできて
関わりを持つようになったボランティアや
継続して勉強していきたいことなどにも出会ったり

今の暮らしにもすっかり愛着を持ってしまった
街なかにありながら、落ち着いた、いい住まいだった
好きな景色やお店がいくつもできて

やっと馴染んで、もっと親しみたかった、そのひとたちやものごととの別れは
ほんとうに残念でならない

ほんの短い付き合いのひとたちでさえ、別れを伝えることを思うと
ひとつひとつの出会いの尊さに、目の奥がきゅっとなる


でも、それ以上に、何が一番私にダメージを与えるかと言えば・・・・

やっぱり
上越の友人・知人たちと
ほんとうに、ほんとうに、遠くなってしまうこと


上越から転居してから、何人もの知人がこの街へ用事がてら訪ねてくれて
時折の親しいひとたちとの再会、かわらぬ付き合い、心許せる会話が
どれだけ私を支えてくれたことか。。。

私も、数か月おきには上越を訪ねることができたし
その都度、待っていてくれるひと、街角でばったり会えるひとがいて・・・

そういうことが
たぶん、すっかりと、ぽっかりと、無くなってしまうことのダメージを

今から想像でき過ぎていて。。。

どんなに言い聞かせようとも、覚悟を定めようと努力しようとも
ナーバスになってしまう


またきっと、会えるけどね!!
私は旅のひとだから!


テンションが下がったら、ぐいっ!とまた上げてみる
たかだか2年!と言い聞かせてみる
この数日間、その繰り返し


2014年10月17日金曜日

転勤

夫が県外に転勤することになった

打診がきた時、
事業所にはスキル的条件の合う候補者が、相方ともうひと方

ただ、その方は小さい子どもさんがいる上、現在自宅を新築中~
・・・行きたくないよね(-_-)
私がその人の妻だったら絶対反対するね

数か月前にも、今回とは違う県への異動の打診があった

その時は、配属任期が明示されず、
もしかしたら行ったきり、地元に戻れないかもしれなくて
さすがにそれは・・・ と我が家でも断ったのだけれど

今回の話は欠員の応援で、「2年」の期限が提示された
実際はどうかわからない
でも夫の考えは理解した
私の気持ちもちゃんと伝えた
夫は十分にわかってくれている

私も、会社の事情や組織というもの、社員の立場も、それなりに理解できる
私たちが家無し・子無し・妻専業主婦、の上に親も一応健在、という
客観的に「悲しいくらい適任」(友人の弁)なことも自覚している

だから県外転勤の覚悟は、前回の打診があった時に一度済ませた
今回の行く先については、今回の打診があったその日のうちにもう調べた
住まいもネットで探せる時代に感謝する

きっとどこでもやっていける
どこに行ったって、きっとたのしいことを見つけられる

と言いきかせながら、自分を一生懸命納得させようとしている
それでも足りなくて、言葉にしたくて、新しいブログを始めたりしてる


一番の気がかりは親たちのこと
もっと若くてハリッハリに元気だったらそれほど悩まない
でも会うごとに、確実に老いていくのは淋しいけれど受け入れなくてはならない現実で
心細いのは親たち当人の方であるはずで
それぞれに健康に気を配り、楽しみごとを持ち
子どもに頼るようなことは言わないけれど

だからさりげなく、できることをしたいと
ようやく同じ県内の少し近くに暮らし、一緒の時間を過ごしたり
雪の季節の心配や多少の手伝いなど、
これからますます必要になることに備えられたと思っていた矢先のこと

でも今なら。。。
この2年なら。。。
ギリギリ、元気でいてくれるかなぁ。。。

今の地から、あと5年くらいで(つまり40代のうちに)
私たちの両・両親の住む地元に戻れたらいいねと算段をつけていた
地元に転勤願いを出して、地元に戻って根を張るものと
それまで今の地を楽しもうと思っていた

自分たち夫婦の人生の終息(どこでどのように終えるか、それまでの暮らし方)
についても、考えはじめていた

それがまさかの想定外のもうひと展開
更に遠地での暮らしが間に挟まろうとは!

まだまだですよーーーー  と言われているのかな。。。


だからきっと、ちょっと回り道をしてくるだけのこと
帳尻は同じ
更にひと修行して
5年後には地元に帰っているかもしれない

と思い描いたりする