2014年12月18日木曜日

あと10日!

搬出当日まで、実働できるのは残り10日となった

今日は燃やせないゴミと古紙類最後の回収日
(古紙は常設の回収場所もあるけど

親しい人たちと過ごせるイベントごともあとひとつだけ

来週木曜の郡山日帰りの後は残り3日!


終盤、少しのゆとりを残して
あと3つほど予定を入れたいところ

ココでしかできないこと、今しておきたいこと

欲張れ自分!


亀は亀なりに~~


2014年12月14日日曜日

荷造り④分別品


夢を見た

靴はこの時期に履くもの以外とっくに箱詰めしたハズなのに
まだ詰め残しの靴が出てくる!という夢
そんな靴持ってたっけ? っていう見覚えのない靴なのだけど
焦る、という夢

夢でよかった


まだ梱包できずに残るものは
①日常使いをしているものと 
②残りの日々でまだ登場予定のものと 
③この機になるべく分別・処分したいモノたち

最後はもう「エイ!やあ!」と 積み込みます が  (-"-)ぇ?
 エイやあと捨てる、なんてできません (/_;)
 エイやあと勢いで捨てられるひと尊敬~

なるべく手放せるように
もうしばらくあがきます



少し前に図書館に行くついでがあったものだから
作業の励みになるものを・・・ と探した中にあった、やましたひでこさんの「断捨離」本

以前チラ見した時は、著書らいわゆる「断舎離アン」の方々のような
あれほどのいさぎのよいモノ無し暮らしは希望しないな、と思ったのだけれど 
この期に及んで読んでみると、大事なエッセンスがたくさんありました

・活躍させきれる量や時間には限りがあるということ
・そのモノたちがあることのメリットとデメリット
・最終的には生き方やこころの問題

彼女らの実践の在りようは
思い入れのあるモノ(が一番やっかい)であっても
活躍できてないね、役目を終えてるね、もう終わらせていいね、
という決断をするときの後押しになる

それでも、私がしていることは彼女らの間逆?
少なくとも、ななめ45度以上はズレてるね(/_;) と思って苦笑する

私の場合
確認したら~ 右から左へ~~ キチンと詰めるだけ~~ (。-_-)



御師匠さんとしては「こんまりさん」のトキメキ基準の方がキモチに馴染む
根本は同じだ (と思っている)

昔のモノだろうと使ってないモノだろうと
今もトキメくもの、大事感が現役のものが
在るべきところにキモチのいいカタチで整うといいな



2014年12月10日水曜日

荷造り③分別後回し品


今年の手帳に書いた目標は9項目あって
案の定、昨年に続いて未達成のまま12月を迎えているのが2項目

「健康診断を受ける」 と 
「紙モノ・資料整理&処分」 (/_;) くぅーー

それをやれるように仕向けて下さった神様、アリガトウです (>_<) くぅーーー

風の町には5年くらいいるかな?と
5年のうちにはやろうかな、なんて
思っていたら… やっぱりやらないよねーーーー(>_<)

とりあえず収まりがついてしまえば後回しにできてしまうから

転居に際してのこの苦しみは、日頃のツケというもの
しかたがない。。。

もうしばし
ツケといてもらっていいですかぁ~?(*´∀`*)  ばかちーん!(-_-メ)



こういうのはかろうじて手放せる
由来を書き出したら決意が揺らぎそうだから書くのはやめ



「最初」の思い出のものたちも聖域なし

初めての一人暮らしで実家から持って行ったお皿
大学の授業で初めてロクロを回した時の器
京都時代の陶芸教室で手びねりを習った時の器
初めて母に買ってもらったパンプスとかネパールに行った時のザックも

なんでまだ持ってるんだ(-_-メ) ってーハナシですが
ランドセルや部活のユニフォーム残してる人と一緒です一緒 (*´∀`*)
あの頃がセーシュンなんだもん

楽しい記憶いっぱいだけど、大事なのは物じゃない!と言い聞かせつつ
(でも記憶力がないから忘れたくなくて 残してしまうのね(T_T)私は
小さく残せるものたちに集約します
パチリと収めてサラバです! ありがとう!


「ツケ延長」ジャンル 

①写真・アルバム 
②保存版雑誌 
③思い出箱
④郡山にいる2年のうちに手放せそうなもの (保管義務期限までもうチョイの伝票とか
                 
①~③は本当に大事なものと、なんとなく手放せないだけのものが混在
④にはもう捨てていいものも混じっている
が、今向き合ってる時間はないのでまるっと荷詰め!    

2年のうちに、今度こそ 「本当に必要なもの、好きなもの」 だけにしたい
できそうな気がしている

問題は。。。
「好きなもの」が多い、ってことで(*´∀`*)ゞ 総量規制が課題です(-_-)




昨日は夫が送別会で素晴らしいお花とスゴイお酒をいただいてきた
2本とも桐の箱に入っているよ \(◎o◎)/


また戻って来れるよう壮行会にしてね、と言ったらしいのだけれど
県内のどこに戻るかわからないものね…
新潟でご一緒して下さった職場の皆さま
ありがとうございます



散るもの、食べ物、飲み干せるものはいいね(*´∀`*)☆

しかしどれだけ飲兵衛だと思われているのか
我が家にはお酒が続々と












こちらは私がいただいたまさかまさかのお餞別・・・
上越の3人のねーさんから
まとめて渡されても誰がどれを選んでくださったか
私にはわかります
たくさんのお気持ち共々
ありがとうございます!(/_;)


2014年12月9日火曜日

今わかること


わからないことがたくさんあって

ある程度まで調べた後は、それをどう受け止めればいいか
知人たちにどう思っているかを尋ねたり、語らったりしながら
心の置きどころを探してきた


今の福島をどう思うか

今の郡山に暮らすことをどう思うか

原発事故のこと

復興計画のこと

いろんな立場のひとがいること・・・


新潟で暮らすみんなはどう見ているか
というのを、聞きたかった

全くの他人ごととは思っていないながらも
「切迫した」当事者ではないがゆえのもやもやとした心模様を
それぞれに、みんな、正直に、答えてくれた

親しいひとも、その日その場で初めて会ったひとも

ありがたかった


答えを出したいわけじゃない
先に行ってみなければわからない、というのは誰しも一致するところ

科学者たちでさえ意見は様々で
専門家はどの立場に居るかで言うことは変わるし
雑多な意見の中には、国内の暫定基準に対してだけでなく
世界基準にさえ疑問を呈しているものも見かける

そんな中で、何をどう選択したらいいのか…

みんなも実際に自分が本当にそこで暮らすとなったら、もっと考えると思う
具体的に知りたいことがきっとたくさんあると思う

私はそもそも今の放射線量の数値を
どう受け止め、どういう程度のものと判断すればいいのか
というところからわからなかった

わからないよ(T_T)

ということを、一緒に笑ったりお酒を飲んだり、共に生きているひとたちと
語らいたかったのだと思う

タブーや遠慮無しに

問いかけに応えてくれる人間関係がある、ということが
多分、私が求めている一番の 「答え」


雪の町にも、風の町にも、坂の町にも
私には、問いかければ応えてくれるひとが居る


昨日も送別していただいた場で
随分年上のひとに同じ問いかけをさせてもらった

同じくフクシマについての「答え」はわからない

でもひとつ、話を聞いているうちに確信に変わったことがある

私が行動する範囲においてのことだけれど
もちろん 

数字や政治的状況については
これからももっと学んだり、冷静に判断していかなくてはならないとして

それ以上に大事なのは

わからないお化けにちっちゃく怯えることではなく
どこに居ようとも、そこで何をするか
己が持っている条件の中でどう生き、どう全うするか
ということ


そう思えたのも
これから私が身をおく環境は、(あくまでも私にとっては)
そっちに比重を置いていい程度の数値
だと判断できたから
これは言い方がとても難しい
た別途
これも同じくとても重要なこと

国や誰かが安全ですと言えば安心できるのですか?
本来、個々人がそれぞれの責任で判断するものなんだよ
むかし昔は国家なんて無かったんだから

会話の中で語られたこと


思考と行動の重点がガツッと転換した

これまで既にいただいていたたくさんのメッセージが
すべてパチっとパズルに収まったような瞬間


おかげさまで
ココロの置きどころ
ようやくおさまりがつきました



生きざまや、してきたことが説得力になるって
かっこいい

昨夜は人生の大先輩のような方々が送別会をしてくださったのだけれど
期待を、希望を、伝えてくださりたかったのですね…

ものすごい贐(はなむけ)の言葉をいただいたと思います
大切なことの根本のようなこと

ありがたく、確かに受け止めましたと
私も行動で示せるひとになりたい
まだブレっブレだけど(/_;)

それでいいんだって

達観なんてできなくて
どれだけ実績や年齢を積み重ねても
心配したり歯ぎしりしたり
それが一生懸命生きているってことだって☆

そのへんを一番確かに受け止めましたかも(*´∀`*)
これからも間違いなく揺れます
生きてるから



2014年12月8日月曜日

荷造り②分別済み品


「やらねばならぬこと」にリミットがあるのは非常によい

このところ(先週)の期限は
・ タイヤ交換のため実家に行く日 ==> 実家預け品の選別・梱包
・ 2週に1度の古紙回収日 ==> 不要書類第一弾なるべくたくさん放出

今週は
・ マンションの定期配管掃除日 ==> シンク下と洗面所下をカラにする
                           室内もある程度整えておきたい

更に来週は
・ 月に1度の燃えないごみ回収日==> 不要陶器・金属・機械類放出

そしたらもう次の週には
・ 新居の鍵の受け取り(郡山日帰り)==> 梱包しにくいもの・植物たち・壊れ物を持って行く

そしてその数日後には搬出本番!! きゃ~~~\(◎o◎)/



ドキドキする~~(>_<)

選別作業ばかりしていると荷造りが進まなくてキモチが落ち着かないので
梱包作業も進めた

・ 既に分別済みのモノたち
①靴
②バッグ類
③山・アウトドア用品
④押し入れ内でかごなどに収納しているモノ

室内置きにする夏タイヤを洗ったり、歯の定期検診に行ったりもして
ふうーー・・・
これで1日


息抜きにブログを書く
書きながら、やったこと・やれなかったこと・次にやることを確認する

12/5 
和室、ほぼオッケー (-_-)/☆


旅立ち前の再会や会食や
ありがたいことにの送別会や…
ギフトを用意したり手紙を書いたり
それ以上にいただいたり…
雪にハラハラしたり戯れたり
たくさんの笑顔
ぎっしりと詰め込まれた12月の日々が
天からの贈り物だと
存じております(。-_-)

感謝


2014年12月5日金曜日

荷造り①実家保管品

実家に預ける荷物をまとめるのに2日を要した

「とりあえず」で持っていくと、そのままになってしまいかねないので
①まだ手放したくないけど、郡山では使わないもの
②ゴミとしてスクラップにするのでなく、しかるべきところに出したいもの
(出し先のアテがあることが重要)
を厳選

梱包は取り出しやすさを考慮
用途ごとにまとめつつ、箱も揃えたりなんかして (ココからは趣味の域(。-_-)
(ストックヤードの中が美しいことも重要なんデス(。-_-)

「箱の中身は全てのアイテムを書き出す」
というのは前回の引っ越しで友人から教わったワザ

箱をナンバリングして、手元のノートに中身を細かに書き記す
(転居先に持って行ってすぐに開梱するものはもっとザックリにするけれど

ノートは手元に置いて、実家保管にしたものが何なのかを把握
帰省の折に記録簿を忘れても目当ての物が取り出せるように
箱にも中身を書いた同内容のメモを貼った

スクラップ判断はこれまでになく厳しく
少しでも量を減らすように決断!選別!

めっちゃ疲れた~(>_<)

総量からすればほんの一部
先が思いやられるけど

納めた後 「ココには要るもの・好きなものしかない」
と思えるのは、すごくよかった


そこに眠るは
次なる舞台を待つモノたち

またいつか
出会いと再会の場に伴われることを夢見て
静かに待っていてくれる


12/3
実家まで海岸ルートを行ったらスゴイ砂嵐に波しぶき
かぶりまくったけれど
冬の日本海堪能

スタンドはタイミングよく待ち時間無しでタイヤ交換
帰路はアラレ混じりだったけど余裕
翌日からの降雪にも間に合った

時雨れ風雨で荒れた日だったのに
実家にいる間だけ雨が落ちなくて予定外の洗車もバッチリ

大吉さまサマ☆
神さまありがとう(*´∀`*)/

2014年11月30日日曜日

来年の手帳

昨年は、それほど予定がある気もしなくて
いつもの戸田書店ダイアリーと、フリーの書きみ用に
いつもの無印リングノート1冊で済ませていたのだけれど

今年は目標もたっぷり
スケジュールを持ち歩く必要もあったりするかしらと
携帯用には新潟県民手帳を


2014年の記録セット
相方には閻魔帳と呼ばれている(-_-)
戸田書店さんのダイアリーは毎年色が変わる
今年のボルドーはよかった☆


風の町2年目の今年は、いつの間にか定例の楽しみごともでき
臨時の来訪やイベントごとなどもあって、外出も、記しておきたいことも増え
手帳は大活躍

来年は、青森手帳だな~ と思っていたところの行き先変更で
それなら福島県民手帳を~♪ と思っていたのに
住まい探しに行った折には物件の決断だけでギリギリで
手帳を買うことをすっかり忘れ…

後日早々に、郡山の友人から贈っていただいてしまった(/_;)アリガトウ~



届いた水色の手帳には早速予定を
引き続き併用したい戸田書店ダイアリーの配布は年末
来年のは何色かな♪


2015はどんな一年になるやら・・・

したいことや目標は、毎年ながら既にいくつもあるのだけれど
予想外の出来事も、きっとたくさんたくさん、あるに違いないのです
思いもしなかったうれしい出来事が・・・

県民手帳には、統計とかくらしの相談窓口とか観光案内とか
その県に関するいろんな情報が載っているのですが
福島県の面積は全国第3位ですって!

相方が見つけた情報は・・・
「2015 県内の主な行事」・・・ 2月上旬 「新酒まつり」 (郡山市)!
 
それは要チェック~(*´∀`*)♪


福島県も酒どころ
かつて杜氏さんの数は越後杜氏より多かったとか

現在、私の福島のお気に入りお酒基準は
会津・末廣酒造さ の「福の花」になっております
前のブログでちらっと紹介しました→


ちなみに「福の花」は数量限定で既に完売とのこと
飲めてよかったーーー

話題の「飛露喜」もさすがの奥行きのある美味しさでしたが
こちらもなかなか手に入らないので・・・

日常に手に入るお酒で
美味しいな~~~
さすがだな~~~
としみじみ思えるお酒に
出会えるといいな♪

はい、また目標ひとつ増え~(*´∀`*)


2014年11月29日土曜日

坂の町へ

「雪降る町」から「風の町」へ、そして今度は何の町?^-^ 
と聞いてくれた知人がいます

郡山・・・
新居を決めに行った日は、新潟に負けず劣らず
「風の町」だったな~~^-^ゞ

盆地なので独特な気候があるみたいですが・・・

そういえば、
「坂がいっぱい!」 な印象でした!

道路に面した1階が、裏から見ると「地下階」だったり
(裏が建物の「2階」から始まっている?
逆に裏が下がっていて裏に地下階があったり

新潟市にも、海岸と内陸部との境の丘陵地帯には
坂や段々がいっぱいの住宅地がありますが
そこも私には馴染みのない、ちょっとトキメク異空間
暮らしているエリアは海抜ゼロメートル地帯というこの上ない平坦さ

上越・高田も海方面・直江津に向けて緩やかに下っていたけれど
それを実感するのは自転車をこぐ時くらい

それに比べると
郡山市中心部は (周辺部はまだ行ってないのでわからないけれど)
町全体が見るからに坂!
駅方面まで下って戻って来る時には結構パンチがありそうです

もっともっと「坂」な町もあるでしょうけれど
越後平野育ちの私には、郡山も十分すぎる 「坂の町」 認定☆



あと、公園がいくつもあるのです
池とぐるりの樹木と…

夏に旅行で訪ねた折
街並みの中の緑が少ない印象だったのですが
その分、憩いの場が作られているのでしょうか

交通の要所でもあり
本来とても住みよいところなのだと思われます

マンションからは周囲の山が見えます
今わかるのは
磐梯山だけですが
これから他の山の名前も覚えていきたいです

きっとこれから幾度もその景色に
チカラをもらうと思います



2014年11月24日月曜日

HOPE

スイッチ入りました!


霧中探索ひとまず終了

晴れもあれば曇りもある
これからも

住まいを決めること以上に重要なのは
自分のスタンスを決めること

先頃、友人から届いたギフトには
田島征三さんの 「雨にも 風にも 負けても平気なひと」 
というタイトルのポストカードが添えられていた

決まりました

とだけ今日は記して

今日こそお片づけを進めなくては~~~(。-_-)/^ポチ 【やる気スイッチ】

**********

ここ数日、気がかりについて調べつつ
友人知人たちと会ったりメールで話したり
気晴らしに街を歩いたり、お店を覗いたり

晴れた日に登ったビルの展望台では
ガラス越しの山は心模様と同じで
晴れているのに霞んでしまって
本当のことが見えないみたいだったけれど

たくさんのヒントの中で 「そうだった」 と
大切なことを思い出していく


今日は曇天
でも、心はクリアで

見えるよ
ちゃんと

道も
希望も


『HOPE』
秋吉敏子

彼女のピアノタッチに
ついていければ
大丈夫


2014年11月21日金曜日

ルート探し

転居先が決まればひと段落の「ホッ」・・・

のハズだったけれど
話はそう簡単ではなく

県外への転居 (また荷物の大移動(>_<)
というだけでその距離に関わらず大騒動なのに加え

行き先が福島となると、状況は本当に複雑で。。。

暮らしを具体化すればするほど
考えることはたくさんあって

寒いとか遠いとか本が無いとか
八戸に対して思っていたような物理的な問題 (これも決して小さくはなかったけれど!
とはまた違う

心の問題で

だいぶ疲れた

********************

「気がかり」に着地点を見つけるまでは調べ続けたいタチ

心の霧を抜け出せれば、あとはガシガシ進んでいける

転居先を決めて帰ってから
この心境を抜け出すルートを探し続けている


何を、どういった「発信」を、指針にするか・・・

その前に「問題」の捉え直し

よくわからないけど「タイヘンそう」
と思っていたことって
何がどうタイヘンなのか、タイヘンじゃなくなってきているのか

概論は概論として
郡山に暮らす友人の話を一番の参考にしながら

いろんな意見があって、いろんなデータがあって
支持したいと思えるものに出会っても
批判・反論を目にすればあっさり揺らいだりしながら

わからないなりに、少しずつ
「情報の意味」を選別できるようになりながら

「複雑」
の中身を整理していく・・・


とても大事なところを通っている気がする

自分のスタンスなんて
とっくに決まっていると思っていた

そうじゃなかったことに一番衝撃を受けて
揺らいでいるのかもしれない

でも
出口まで、多分あとひといき


整理って
なににつけ疲れるのね

でも本当に疲れるのはこれからだ(>_<)

引っ越しまで約1ヵ月!!


2014年11月17日月曜日

住まい探し

郡山への転勤が確定してから1週間
新居探しにかじりつきだった

ようやくいくつか候補を見つけて
内覧の承諾をもらって、ホッ

今の住まいを決めた時もそうだったけど
ネットで検索できる時代に感謝する

調べながら地名を覚えていく

グーグルマップの航空写真やストリートビューもスゴイ


だからといって知った気にはならない
大きな手がかりではあるけれど

問い合わせてみれば既に契約済み物件だったり
掲載画像が違っていたり

日当たりとか、窓からの景色とか、
面した通りの通行量や、駐車場への出入り
建物や部屋やその地域が醸し出す空気感・・・

本当のところは
どれも現地に行って見てみなければわからない


福島のことも、郡山のことも、そう

住んでみたって
きっとわからないことの方が多くて


でも、勘はいい方だ

住めば都

任期を終えて旅立つ頃には
今と同じく、またきっと去りがたく思えるような
日々になる


今の日常とは比べ物にならないくらい
いろんなことを学ぶのだろうと思う

ネットで垣間見ることの真偽を
もっと知りたいと思う

知った分、そこで暮らすひとと出会った分
いとおしさが増すのだと思う


定住し続けるひとと、またいずれ去る者
それぞれの想いは、どれだけ交わることができるだろう

自分の中にも
様々な想いが錯綜している


自身の核心を健やかに保つための新しい住まい

相方は忙しくて家時間が短かそうだけど・・・(/_;) 
私が元気ならネ! 大丈夫! (*´∀`*)/


ポイントはキッチンとリビングの気持ちよさかな☆
和室にも窓があるといいナ☆
他にも~ 他にも~~・・・


全ては明日

先週の会津は早くもチェーン規制
磐梯山はもう白いのだって

でも明日は晴れ予報
私、今年大吉の晴れ女 ( ̄ー ̄)v☆



2014年11月10日月曜日

肩すかし

それは相撲の決まり手のひとつ

大相撲九州場所が始まった
けれど心は九州ではなく、冬が近づく東北に。。。


ついにお達しが来た旨、相方から電話アリ 

「決まったよ~」

ハイハイ、やったね、決まってスッキリね、いつからいつから?

「八戸じゃなくて・・・」

はぁ(-_-)?

「郡山に」

ええっっ??(@_@;)


そっちですかっっ!!

めっちゃ覚悟したのに!!

めっちゃ心づもりしたのに!!

八戸ぢゃないっっ!??


むぅーーー(-"-) 
会社とはなんとオソロシキ。。。

まあええわ(-_-) 
風のおもむくままに

八戸の前には郡山を打診されていたのだ
その時には覚悟をしたはず


そんなわけで、

ちょっと先走って動揺をお伝えした皆さま・・・
青森情報を下さった皆さま・・・
八戸ではなく、郡山へ行くことになりました~ (*´∀`*)てへ


そんなふうに明るく話すことなのか
明るく言わずにはいられないのか
複雑なのだけど
八戸のインパクトが強すぎて
郡山?近い近い☆
決まった?やっとお知らせできる☆
やったねー♪

おかしな感覚麻痺

2014年11月7日金曜日

心づもり

さて、11月になりました
が、なんとまだ着任日が通達されません(-"-)

その他の人事も調整中とのことで
ひょっとして行かなくてよい?  
・・・ってコトにはならないだろうと相方は言いますが
正式発表がないからにはおおっぴらにお知らせするわけにもいかず・・・

早くおせーてー(>_<) 
行くならもうみんなにお知らせしたいよーp(>_<)q

とジリジリしながら、行く前提の心づもりをし、荷物整理を進めています

++++++++++++++++

八戸について懸案の寒さについては 気温と雨量の統計 を見ると
3~4℃違うだけ だけ?(-_-)
氷点下と言ってもマイナス10℃にはならないんだもの、
なんとかしのげるかな  かな(/_;)

夏は30℃に届かないし、降水量もすごく違う
太平洋側って、晴れ晴れしてるん? 東北でも??

やっぱりその暮らしはピンとこない
行ってみて発見を楽しむしかない

そんな折、秋田在住の知人が来県したところに奇跡的に会えた

かつて上越にも暮らしていたその方によれば
秋田は上越より更に寒く、更に降り、更に更に凍るという(*_*)ひいぃ~~

八戸が太平洋側であることにおそらく、まちがいなく、私は感謝するだろう

がんばろう

++++++++++++++++

次に見つかった懸案は・・・  見つけてしまった(/_;)

八戸市の図書館はどんなものかと検索してみたところ・・・
無い
本が無いわけではない
私がこれから順次読みたいと思っていた著書が、全部無い

念のため、今借りている本と、
新潟市に来てから読めてよかった本を検索してみたところ 
ほんの数冊、何年か前に出たベストセラー本しか、無い
大した読書量でない自分がわずかに選び、読む本が、無い・・・

ひゅるるる~~~

新潟市と比べてはいけない
新潟県立図書館と比べてはいけない
そしてそんなに読みたい本は買え、てことだろう

しかしながら、申し訳ないけれど、そんなには捻出できないと思う
家計は暖熱費と帰省費用と、そしてお出かけ費用(。-_-)・・・ が激増だ

ということで・・・ 新刊がないなら古典を借りて読もうか~~☆ (*´∀`*) 

時事情報については経済誌や新聞をもっと読んだらいいかもしれない
この機に、素通りしてきてしまったもっと基礎的なものに
出会ってみるのがいいかもしれない

私はなんとなく、中学生レベルから
社会や数学や英語を学び直した方がいいような気がしている



とはいえ
急務でもない勉強はなかなかしないのだろう
政治もエネルギーも待ったなしだと思うからせっせと読むのだし

今当たり前にあるものが無くなることに
ちょとビビっているのね

いつでも読める豊富な蔵書や
いつでも出かけられるマイカー
日帰りで会える家族や友人・・・

神様
わたし
そういうもののありがたさは
もう十分わかっておると思うのですが・・・

実体験してみれ?
耐えてみれ?

ハイ(-_-)日々是精進




2014年10月24日金曜日

冬の過ごし方

親との距離や友だちの不在、ということに次ぐ不安はその寒さ
氷点下になるのが当たり前、という暮らしは未知の世界

上越では積雪1メートルくらいならなんとか・・・と思えたけれど
新潟市では同じ県内でもこうも違うかと、雪が降らない代わりに
海風の冷たいことに驚いたり、黒く乾いて見える歩道が凍結していると知ったり
「皮のロングブーツ」がたくさん売られていることに納得したりしたけれど
(降雪地域では雪がとけるとビシャビシャになるので皮靴不可、おしゃれ長靴必須

新潟市などメじゃない寒さであるらしいのが八戸市!

水道管凍結も当たり前~~(*_*; 
つーか、凍結しないように対策するのが当たり前~~

窓のサッシが2重だとか
エアコンでは暖しきれないのでFFストーブが主流だとか

まだ地図上でしか見てないけれど、屋外スケートリンクがある??(*_*;
外出しで、凍ってくれる、ってことですね?(-"-)

この冬は皮ブーツを買っちゃおうかな♪ という目算は幻になったけど
早まらなくてよかった
八戸のひとは何を履いているだろう
スパイク付きのあったかいブーツとかかな・・・

その寒さはまだ想像できないけれど
コレは・・・ 子どもの時以来のイヤーマフ(耳当て?)を買うことになりますね?

実はアレ好き(。-_-) もふもふのヤツ
新潟市でも冬の街歩きは帽子で覆っても耳がちぎれそうなのだけど
さすがに大人で付けてるひとは、自転車乗りかウィンタースポーツするひとくらい
子どもや、おしゃれでつけている若い子たちがうらやましかった

アレを大っぴらにつけれるなら、いーかも~♪(*´∀`*)


極寒の2月には みちのく5大雪まつり のひとつ
「八戸えんぶり」という祭りがあるというので・・・
それは逃さず行かなくては~~~(*´∀`*)耳当てつけて

年に1度のお祭りごとは、チャンスは2回しか無いからね☆
冬のチャンスについてはホントに2回だけでイーですから(-_-)/ 追加サービス御無用




2014年10月23日木曜日

2年

腹を決めてしまえば

新潟市を2年で離れることは
次の2年を八戸で過ごすためのクッション (更に弾めるようにのトランポリン?
かもしれない、と思えたりして、この上ない采配のようにも思えてくる

また新潟県に戻ってこれるという安心感と
別れを惜しんでくれるひとたちがいてくれることに心強さを借りて
2年で旅立つこの流れに意味を探す

上越から一気に八戸だったら、一体どんなことになっていただろう

この2年のおかげで
いろんなことがイメージしやすい

見知らぬ地で一から暮らすこと 
2年という月日でできること
またきっとうれしい出逢いがあること、再会できること
そして・・・ 転居時の自分の荷物の量(-_-)

そう、こうなってくると一番の問題は引っ越しだ
このスパンでまた荷造りするの、ホント嫌 
何がイヤって、ソレがイヤ(>_<)

旅人なワリに荷物持ち(/_;)
         だから早く根を下ろしたいんだよーーーー
         転勤族の妻は務まらないんだよーーーー

もっと大胆に持ち物を減らせたらねぇ・・・
気合を入れ直しつつ、あまり自分を追い込まないことにする

相方もそのストレスを心得ているので
「無理して捨てなくてもいいんじゃない?積んでおけば( ̄ー ̄)
て言ってくれる

相方のエライところは、そういうふうに言われるとむしろがんばる
という私の習性を、狙わずして起動させるあたり

ええ、ええ、なるべく減らしますよ(。-_-)

それでも今回は実家送りもさせてもらう予定
食器とかね、
もう、誰が訪ねてくれるというのもないので (-_-)まだ少々自虐気味
お客様が来た時に・・・ みたいなのはさっさと梱包

保存版の書籍・書類はもちろん実家で保管をお願いしたい<(_ _)>
もうひといきで手放せそうな、要整理のもの(が結構多い)は、仕方がない、
持って行って、またちょびちょび眺めてはまとめることを、冬の楽しみごとにしよう

なんたって冬は家にこもるしかないくらい
寒いらしい! 

氷点下になるのがあたり前!? (*_*; ひぃ~~~


おそらく最初と最後の数か月ずつは
引っ越しがらみであっという間
2年というのは今から貴重な日々に思えてくる

せっかくだもの
八戸に居る間に行っておきたいところもた~くさん(*´∀`*)

「大丈夫!」に続いて「青森イーな☆」の声も聞こえてきて
「そうお?」と次第にノッテきた

ありがとう

2014年10月20日月曜日

親心

日曜日

母は外出と聞いていたけれど、別用もあって実家に立ち寄り
父に伝えた

まだ自分も、おかあさんも、元気だから

と言ってくれた父は
脚だの腰だの、歳相応におぼつかなかったりもするのだけれど
今日の小春日和、午前中はひとりで自室の大掃除をしていたのだと
この後は庭仕事をするのだと
付け加えた


2年間、不要不急の荷物を預かってもらう打診についても
いつもは実家に残してある私の私物に苦言を呈すところ
快く応じてくれた


相方の車は転居時に一緒に乗って行くとして
私の車はどのタイミングで持っていこうか

転居はおそらく年末年始
未経験レベルの気温の低さと路面凍結は想像も及ばず
3月頃まで実家近くのガレージを借りておこうか・・・
春になったら、二人で取りに来ようか・・・

そんな話をしながら

じゃあ春になったら、おかあさんと電車で訪ねるか

○○さんの奥さんは八戸に住んでいたことがあるから
近く会ったら聞いておく、「いい酒蔵があるかとか」・・・  
そう言う父は、最近は糖分を気にしてもっぱらビール党だ


私を旅人間に育てたのは、おそらく主には父だと思う

小さい頃からの家族旅行
そのうち、兄と二人で高田の祖母宅へ行ってこいと、
電車の乗り換えや時刻表の見方を教えてくれた
中学に上がる時だったか、ひとりで神戸の親戚の家まで行ってきた後は
愉しくもどれだけ緊張したのか、熱が出て新入学早々の学校を休んだ

何かが変わる時には、大きく失ったり、熱を出したりするのだという
その時、私の放浪体質は仕上がったのだと思う
地元を出ることを切望しながら思春期を過ごした


なんでも、できるようになったほうがいい
いろんな場面で、そう言って育てた

県外へ進学することも、さらに西の地で就職することにも
バイクに乗りたいと言った時も、反対はしなかった

唯一、学生時代の旅においては、ヒッチハイクすることにだけ反対した
自分で運転する乗り物で何事かある分には仕方がない、と思ったのだろうか
だから沖縄にもフェリーにバイクを乗せて行った


大人になってからも、大きな心配をいくつもかけた

それらを思えば、2年、それも国内、それも連れ添う人がいる今回なんて
父からしたらほんのちょっと長い旅行みたいなものか・・・


と、私に思わせてくれたのだと思う



母と二人で見送ってくれる時はさっさと玄関に入ってしまうのに
今回は、私が角を曲がるまで
ずっと見送ってくれていた





2014年10月19日日曜日

大丈夫

土曜日

月に一度の集まりで
引越すことになったと
この日はまだ話すつもりはなかったのに

話したいような
話せるような

伝えたいような
聞いてほしいような。。。

その時の話の流れでも、八戸に行くと話した方がハナシが早いような。。。

そんな感じに思えて

親にもまだ伝えてないのに
美味しいお酒を呼び水に、やわらかに満ちた空気の中で
するりと言葉が放たれた


話してよかった。。。

旧知のひとも、ほんの数回のひとも、この日初めて会ったひとも
みんな、あたたかかった。。。

ココから居なくなるひと、としてでなく
これからは八戸と新潟とでつながるひととして
また会えるひととして

距離を惜しんでくれたことが、驚きで
うれしかった。。。

そんなふうに言ってくれるひとが
この町にもいるんだ・・・
そんな出会いやつながりが、いつの間にか
この町でもできていたんだ・・・

話は上滑りすることなく、深まりながら続き、人生のヒントは各処にあり
驚きと、うれしさが入り混じりで
淋しさやせつなさの入る余地はなかった

それはきっと、若干1名
私の代わりに、泣きそうになってくれたひとのおかげ


新潟と八戸のゆかりは薄かろうと思っていたけれど
「知り合いの漆作家さんがいるよ」と教えてくれたひともいるし

「ウチの愛猫は、青森から連れてこられたコだったんだよ」
て話してくれたひともいた

驚いた
猫もはるばる旅をしなくちゃならない時があるのね
新しい地でまたこんな素敵な飼い主さんに出会ってしまうこと
想像してたかな


「大丈夫だよ」て言ってくれる言葉は
どれも気休めではなく
力強かった

話せてよかった

別れがくるとは思えないうれしい時間だった
あたたかい夜だった


大丈夫 (。-_-)/ぽちっ

「大丈夫スイッチ」入りました!


2014年10月18日土曜日

八戸

耕し・根を張る「土のひと」と
行き交い・運ぶ「風のひと」とがいるとして
私はなかなか前者になれない

相方もそういうひとだから
そんな二人が連れ添ったのだもの、ひと所に居続ける暮らし、なんてのは
ないのかもしれない

行き先は青森県・八戸市
青森は私が国内で訪ねたことがまだ無い数少ない県のうちのひとつ
(あとは佐賀・長崎・鹿児島県!
もしかしたらこのまま一生行く機会は無かったかもしれない太平洋側の北の地に
まさか暮らすことになるなんてね☆

これも何かの縁
神様の采配

行ってきましょうとも!


それにしても
風の町・新潟市での暮らしが、わずか2年で終わることになろうとは

いろんなことが落ち着いて、それなりに動けるようになったのは
ほんの今年になってからのことだから、1年足らず

親しいひと、会えたらうれしい馴染みのひと、などがようやく少しずつできて
関わりを持つようになったボランティアや
継続して勉強していきたいことなどにも出会ったり

今の暮らしにもすっかり愛着を持ってしまった
街なかにありながら、落ち着いた、いい住まいだった
好きな景色やお店がいくつもできて

やっと馴染んで、もっと親しみたかった、そのひとたちやものごととの別れは
ほんとうに残念でならない

ほんの短い付き合いのひとたちでさえ、別れを伝えることを思うと
ひとつひとつの出会いの尊さに、目の奥がきゅっとなる


でも、それ以上に、何が一番私にダメージを与えるかと言えば・・・・

やっぱり
上越の友人・知人たちと
ほんとうに、ほんとうに、遠くなってしまうこと


上越から転居してから、何人もの知人がこの街へ用事がてら訪ねてくれて
時折の親しいひとたちとの再会、かわらぬ付き合い、心許せる会話が
どれだけ私を支えてくれたことか。。。

私も、数か月おきには上越を訪ねることができたし
その都度、待っていてくれるひと、街角でばったり会えるひとがいて・・・

そういうことが
たぶん、すっかりと、ぽっかりと、無くなってしまうことのダメージを

今から想像でき過ぎていて。。。

どんなに言い聞かせようとも、覚悟を定めようと努力しようとも
ナーバスになってしまう


またきっと、会えるけどね!!
私は旅のひとだから!


テンションが下がったら、ぐいっ!とまた上げてみる
たかだか2年!と言い聞かせてみる
この数日間、その繰り返し


2014年10月17日金曜日

転勤

夫が県外に転勤することになった

打診がきた時、
事業所にはスキル的条件の合う候補者が、相方ともうひと方

ただ、その方は小さい子どもさんがいる上、現在自宅を新築中~
・・・行きたくないよね(-_-)
私がその人の妻だったら絶対反対するね

数か月前にも、今回とは違う県への異動の打診があった

その時は、配属任期が明示されず、
もしかしたら行ったきり、地元に戻れないかもしれなくて
さすがにそれは・・・ と我が家でも断ったのだけれど

今回の話は欠員の応援で、「2年」の期限が提示された
実際はどうかわからない
でも夫の考えは理解した
私の気持ちもちゃんと伝えた
夫は十分にわかってくれている

私も、会社の事情や組織というもの、社員の立場も、それなりに理解できる
私たちが家無し・子無し・妻専業主婦、の上に親も一応健在、という
客観的に「悲しいくらい適任」(友人の弁)なことも自覚している

だから県外転勤の覚悟は、前回の打診があった時に一度済ませた
今回の行く先については、今回の打診があったその日のうちにもう調べた
住まいもネットで探せる時代に感謝する

きっとどこでもやっていける
どこに行ったって、きっとたのしいことを見つけられる

と言いきかせながら、自分を一生懸命納得させようとしている
それでも足りなくて、言葉にしたくて、新しいブログを始めたりしてる


一番の気がかりは親たちのこと
もっと若くてハリッハリに元気だったらそれほど悩まない
でも会うごとに、確実に老いていくのは淋しいけれど受け入れなくてはならない現実で
心細いのは親たち当人の方であるはずで
それぞれに健康に気を配り、楽しみごとを持ち
子どもに頼るようなことは言わないけれど

だからさりげなく、できることをしたいと
ようやく同じ県内の少し近くに暮らし、一緒の時間を過ごしたり
雪の季節の心配や多少の手伝いなど、
これからますます必要になることに備えられたと思っていた矢先のこと

でも今なら。。。
この2年なら。。。
ギリギリ、元気でいてくれるかなぁ。。。

今の地から、あと5年くらいで(つまり40代のうちに)
私たちの両・両親の住む地元に戻れたらいいねと算段をつけていた
地元に転勤願いを出して、地元に戻って根を張るものと
それまで今の地を楽しもうと思っていた

自分たち夫婦の人生の終息(どこでどのように終えるか、それまでの暮らし方)
についても、考えはじめていた

それがまさかの想定外のもうひと展開
更に遠地での暮らしが間に挟まろうとは!

まだまだですよーーーー  と言われているのかな。。。


だからきっと、ちょっと回り道をしてくるだけのこと
帳尻は同じ
更にひと修行して
5年後には地元に帰っているかもしれない

と思い描いたりする